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バッターボックスに立て One Japanese Student's Diary in London

博士号取得のためロンドンに留学中。日本・東アジアの歴史を研究しています。

留学への道程1 Overview

 留学の動機については前に書いたので、これからは順を追って、留学へ向けてどのような準備を行い、どのような判断を行ったのかにつき書き進めて行きたい。

 その前提として、一言断っていおくと、私が本格的に留学を決意したのは、丁度日本の大学での修士課程を修了した頃である。それまでは語学留学や交換留学も一切したことはなかったし、一切博士課程正規留学に向けた準備を行ってはいなかった。従って、留学するまでの一年半は、文字通り七転八倒であり、とても人に勧められるものではない。もし留学したい時期までまだ時間があるのであれば、とりあえず以下の諸点はすぐに着手すべきであろう。

 

・学部段階から油断せず、高いGPAを維持しておく。

・様々なゼミや研究会に出席し、研究能力があることを示し、その分野で国際的に名が通る研究者と知り合いになっておく。

・利用できる奨学金の情報を集める。まで、留学に向けた準備を行うための資金を確保する。

TOEFL/IELTSの要件を事前にクリアしておく。米国行を考えるなら、GREのVerbal・Writing対策を入念に行っておく。総合的な英語力を高める。とりわけ、学部や修士の段階で一度留学しておくと良いと思われる。

 

 これらの行動を始めるのは、早ければ早いほど良い。上から下の順番に、逆転不可能なものとなっていることに留意されたい。例えば英語力については、最悪、直前までにクリアすれば良いし(出願準備と並行して試験を受け続けることになり、本気で心臓に悪いので、全くお勧めはしないが)、またクリアできなくても交渉によって条件を緩めてくれる場合もある(場合もあるだけなので、当然、入れなくても文句は言えない)。しかし、学部で著しく低GPAだった場合には、取り返そうにも取り返しががつかないのである。

 もっとも、GPA・英語力・推薦状・エッセイ・(GRE)・(研究計画)の総合評価で入学は決まるので、どれかが低くても別のどこかでカバーできるだけの力があれば問題はない。私は、英語力・(GRE)の低さをその他でカバーできたのだと思う。勿論、すべて良ければその方が良いに決まっているのであるが。

 

 また、以外と落とし穴なのが、留学準備のための資金である。求められる様々な試験の費用は高額であり、一発で十分な点数をパスするのは難しいので、複数回受験することになる。出願にも費用がかかり、分野にもよるが、例えば米国の10-20校ほど受験する者もおり、その場合には受験料で軽く20万円程度は吹っ飛ぶという話も聞いた。勿論、親を頼ることができるのであれば問題ないが、頼れない場合には、自力で収入を確保するか、奨学金を貯めておくかしかない。私は準備期間中には収入があったので助かったが、英語力増強と複数回の受験、その他関係費用と出費が重なり、ほとんど貯蓄することはできなかった。

 

 ということで、私の経験はむしろ反面教師とすべきものであるが、以下、私の辿った道程の全体像を簡単に記しておく。次回以降、個別の事情につき詳述する予定である。

 

2015年3月ー留学を決意。指導教員のその旨を伝え、了承を得る。

4月ーIELTS・TOEFL対策講座の受講を始める。スカイプ英会話で毎日speakingを鍛える練習を始める。

5月ーIELTS初受験。最低要件には全く届かず、英語力の無さを痛感する。

6月ーIELTS二度目。目標に届かず。

7月ーIELTS三度目。GRE初受験。目標に届かず。

8月ー受験する大学院の候補と、応募する奨学金とを簡単に纏め、指導教員に報告。TOEFL初受験、GRE二度目の受験。目標に届かず。

9月ー指導教員と相談し、第一希望・第三希望が米国の大学院、第二希望が英国の大学院となる。他にも諸々受験する予定であった。

10月ー新しく指導教員となるべき研究者を、指導教員の紹介の後に、各々メールを送り、受験につき予め相談を重ねる。その課程で、受験できない大学も判明し、不安に駆られ、あれこれと受験先を追加し始める。IELTS四・五度目。目標に届かず。この頃から課金ゲーム感覚になる。GRE三度目。目標に届かず。

11月ー指導教員(予定)へ研究計画やエッセイ等の原稿を送り、助言を受けて手直しを重ねる。IELTS六・七度目。目標に届かず。TOEFL二度目、GRE三度目。まだ足りないが、これ以上は無理だろうと切り上げる。国内のある財団の奨学金に合格、とりあえず莫大な借金を背負うことはなくなり、安堵する。

12月ー米国の大学院三校へ出願。気の休まらない年末年始であった。

2016年1月ー英国の大学院一校、スイスの大学院一校(滑り止め)へ出願。すべて落ちた場合、応募締切のないドイツの大学院へ応募する予定であった。

2月ー第二希望の英国一校、第三希望の米国一校、スイス一校に合格。第二希望は奨学金は五月に決定で、英語要件は入学直前までに満たす必要あり。第三希望はfull-fundingの奨学金付きで、英語の追加要件もないという条件であった。この二校のいずれかに絞られる。

3月ー両校を直接訪問。実際に指導教員(予定)や学生と会い、どちらを選択するか頭を悩ませた。

4月ー米国の大学院への返事の期限がこの月であった。奨学金が付き、英語試験をこれ以上受ける必要がないのは魅力だったが、両国の学風の相違や指導教員の能力・相性、大学ランキング等を勘案し、最終的に英国に決めて米国を断る。純粋に研究のみを考えた結果だったが、資金・語学が満たされていない状況でのこの決断は相当に無謀であったと今でも思う。

5月ー毎週末IELTSを受験。プレッシャーが酷く、地獄の日々であった。もう思い返したくもない。結局、IELTSの受験回数は二桁に達した。

6月ーIELTSが間に合わないだろうと新指導教員に報告し、善後策を協議していたところ、先月受験したものが要件を突破していたことが判明。同時に、大学から出るfull-fundingの奨学金に合格したことが判明。急転直下で明るい未来が訪れる。

7月ーこれまでできていなかった出国準備に追われる。研究史料のスキャンに手間取り、出国日の前三日間は不眠不休であった。

 

 繰り返すが、決して真似してはいけない。