バッターボックスに立て One Japanese Student's Diary in London

博士号取得のためロンドンに留学中。日本・東アジアの歴史を研究しています。

2018年2月8日(木)

先日から、一日ごとに短文でごくごく簡単に日記を付けることにした。勿論、テーマ性のものも機会があれば書きたい。だが、結局研究等で非公式なアウトプットに割く時間がもったいないのと、なんか肩肘張っていいものを書こうとして結局書かないみたいなことが続いてしまったので、大きな空白期間ができてしまった。
たまたま先日K先生の「横浜日記」を見て、あの多忙な先生でもああいう風に日記を付けているのだと思い、そのスタイルを参考にして再開することにしたのである。後世の歴史家が僕を対象にするか考えるのはものすごい自惚れだろうが、仮にそうだとしても主要な史料はemailやLINE、SNSになるだろうし、そちらの方が正確であって、21世紀の登場人物を扱う上で日記にどの程度の価値があるかというとそうないであろう。ただ主観的な記録として補助的に使う分には有効であろうと思うので、その日ごとの大体のアウトラインを残しておくことにするのである。

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朝起床し、研究室でSkype中国語。その後昼食を食べ研究。Skype英語レッスン。
これから本格的に原稿を仕上げて行こうと気分が乗り始めたところで、LQZ先生から、先日行きそびれたので一緒に夕飯を食べようという連絡が入る。ご一緒する。
T先生や日台中の学界等につき色々な話を聞く。LQZ先生は非政治的な学究というよりは現実社会・政治にコミットする方が好きなタイプのようだ。最初は中国語で話していたが、複雑な話題に対応できる会話力がなかったせいで、後半は日本語になってしまった。
大きな話題は、LQZ先生が特集を編集する、香港のある中文雑誌に寄稿しないか、というお誘いであった。ちょうどテーマが明治維新150周年についてであるらしい。
北京で現地の明治史研究に触れたときに色々思うところもあったので、是非書いてみたいし、中国語の文章を持つのは有益でもあるだろう。ただ政治的考慮もあるし、またまだ学生のぺーぺーがそういった文章を書いていいのかという懸念もある。
指導教員に相談させてくれといって時間をとる。少し酔ってしまい、研究に集中できないので、その雑誌の文章等を読んで夜を過ごす。