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バッターボックスに立て One Japanese Student's Diary in London

博士号取得のためロンドンに留学中。日本・東アジアの歴史を研究しています。

なぜ留学を決意したか

 現在の世の中では、留学は「決意」して行うほどの行為ではない。語学留学や交換留学、正規留学といった様々な留学制度の発達や、奨学金制度等の拡充もあり、即物的なやる気と時間、留学を良しとする周囲の環境さえあれば、ほぼ誰にでも留学の道は開かれいると行って過言ではない。インターネットの発達によって、留学生はいつ、どこにでもビデオ電話を無料でかけることができ、離れた家族や友人、恋人との繋がりを保つのを容易になっている。また、留学経験が将来の就職等に有利と言われることもあって、多くの若者にとって、海を渡るのに強い目的意識はもはや必要ではない。

 

 しかしながら、私にとって、留学は「決意」して行くべきものであった。それには幾つかの理由があるが、最も重要な要因は、まさに周囲の環境、とりわけ日本での学問的環境にあったと言える。

 

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 私は日本のある大学の学部・修士課程で日本の近代史を専攻していた。そこで、私は大きく次の三つの影響を受け、漠然と、海外博士課程に正規留学したいと思うようになった。

 

 第一に、私がお世話になった指導教員等は、日本史を研究する者が海外の学界等へ参入したり、世界的に活躍することに大きな意義を見出しており、私は自然に先生方の影響を受けた。グローバル化の世の中といっても、人間はまずは出身地で人を判断する。その際、例えば、外国研究をしている日本人研究者であっても、留学先では日本のことを說明しなければならないといった事態が生じる。これは研究者に限らず、実務家であるならばより求められることであろう。グローバル化にもかかわらず、ではなく、むしろそのためにこそ日本研究が求められる構造がある。また、グローバル化する世界の中で日本人が誰しも持っている有利な点は、ネイティヴとして日本語が使えるという点である。日本研究の領域で世界を相手に渡り合えば、他の領域よりも有利に事を進められる可能性が高いであろう(もっとも、この見通しは甘かったのだが)。

 これらの点から、グローバル化する学界の中でこそ、日本を研究する日本人で、英語で議論に参加できる研究者、の需要は大きいと考えた。それは、急速に門戸開放を進める日本の大学についても言える。現在の大学の公募で、講義や学生指導を行うことができる英語能力を求めるものは、日本・アジア研究であっても非常に多い。というより、ほとんどの公募でそのような条件が付いている。このようなジョブ・マーケットの変化に対応するためには、留学は必須であった。

 

 第二に、第一の点と関連して、海外の日本・東アジア史研究者の、視野が広くイマジネーションに富んだ英語の著作・論文等に修士の段階から触れるようにしていたため、次第に彼らのようなものを書きたいという意欲が強くなったことがある。一般に、日本を含む東アジア出身の研究者は、実証パズルを精密に解くことには優れているが、それを大きな枠組みの議論にまで昇華できる者は少ない。その結果、色々と興味深い細かな研究成果は蓄積されているのに、說明枠組みは未だに例えば五十年前の大学者が唱えたもの(その大学者も当時の欧米の大学者の議論に基づいている)に依拠する、といったことが起こっている。両者の文脈の不連続を繋げ、精密な実証を通じて新たな說明枠組みを提示することまで挑戦したい。そのためには、実は、修士まで日本の大学で学び、博士から英国や米国の博士課程に進む、というのは、理想的な道筋の一つであるだろう。

 

 第三に、指導教員や他の先生方の海外史料調査に参加する機会があり、そこで現地の研究協力者の先生や学生と話すことで、留学のイメージを膨らませることができたことがある。海外の史料館の日本とのシステムの違いは印象的であり、便利な面もあれば不便な面もあった。また、日本研究をする海外の学生たちは、皆留学経験があり流暢に日本語を話しながらも、その着眼点は明らかに通常の日本人学生とは異なり、しかも正鵠を突いていると思われる部分もあって、大変に啓発された。丸山真男は、他国との比較なしに日本を真に理解することはできないとして、外国語を学ぶ効能を唱えたことがあったと聞く。他国の学界のみならず、若いうちに他国の歴史・文化・言語の中に浸り、その環境を体感する中で自身の経験を再構築する作業が不可欠なのではないか、と思うようになった。

 

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 以上の積極的な理由にもかかわらず、留学を決めるまでには、主に次の二つの困難があった。「決意」しなければならなかった所以である。

 

 第一に、指導教員や他の先生方・友人等の理解と助言、強い支援にもかかわらず、日本や東アジアの歴史学を研究する日本の学界の通常の感覚としては、私のような進路選択については懐疑的な目を向ける方が多かった。

 従来のキャリアパスとしては、日本の有名大学で博士号を取得した後、三十代くらいになってから在学研究で一・二年海外に滞在する、というのが通常であった。日本の有名大学で博士号を取得し、そこからテニュアとしての就職を果たす、というのが何よりも大事であり、その後にやっと留学できることになる。

 勿論、現在でも公募は有名大学の威光と人脈で決まる部分は大きいので、キャリアデザインの安全性を考えると、在外研究で良いのではと思ったこともあった。しかし、色々な研究者の話を聞いた上での私の所感としては、在外研究で得られる物はそう多くない。在外研究と称して実際は遊んでいるような研究者の話は今でも良く耳にしたし、「箔をつけるため」と公言するような研究者もいるし、またとくに日本・東アジア研究者では、欧米の学界とは分かり合えないことが分かったと言って戻ってくる人もいる。要するに、既にテニュアのポストを獲得し、日本でそれなりに地場を築いた方からすれば、欧米で真剣に知的格闘をするモチベーションが上がらないのである。勿論、中には本当に真剣に格闘する人もいるし、そのような方を何人か存じ上げてもいる。しかし彼らのような積極的な研究者から聞くのは、むしろ「もっと若いうちに留学しておけば良かった」という言葉であった。ならば、若いうちに正規留学してしまった方が、欧米の学界のコミュニティに食い込みつつ、正面から存分に格闘できるだろう。

 

 第二に、第一の点と関連して、日本・東アジア研究(とくに日本研究)では、日本人が日本語で書いた研究の方が、海外の研究者が英語で書いたものよりも優れているに決まっている、という暗黙の前提があったように思う。というより、若い世代であっても、そもそも英語の著書や論文をほぼ読まないし、読みこなす英語力・外国語力もないことがある。

 これについては、一定程度理解できる部分もある。思わず「何だこれ」と放り投げたくなるような欧米その他の外国人による日本・東アジア研究は多いし、彼らよりも日本人研究者の方が個別の事例を良く熟知している傾向は強い。そして、日本の歴史学が伝統的にいわゆる史料実証主義(これに対する批判も擁護も山積しているが)であるならば、細かく深い研究こそ優れていると考えがちであり、従って我々の方が優れている、となりがちである。しかしながら、そもそも欧米の歴史学は、史料を重視するものの、日本的な意味での史料実証主義ではないので、ゲームのルールから相違しているのである。ただ、日本に滞在する外国人日本研究者(枠組み重視)と、日本人日本研究者(個別のファクト重視)の間では、前者が後者を枠組みの精密化のために取り入れるという構図が起こりがちであり、そのため後者が前者を「教える」感覚になりがちである。

 しかし、この構造を理解することと、それがそのまま続けば良いと考えることは別である。言語の壁による不適切なグルーピングと不健康な共生関係とが成立していたということに過ぎないし、急速に言語学習が容易になりつつある現在・将来において、これらが成立し続ける保証もない。何より、海外の著作や論文、ひいては史料まで即時に閲覧できる今の世の中において、上で述べたような知的不誠実を野放しにすることは適当でないであろう。日本と海外のゲームのルールの互いに理解した上で、積極的に両者間の健康で生産的な交流を図る以外に、日本の学界が生き残る道はないと考える。

 

 

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 もっとも、「決意」して来たといっても、もう母国に帰らない、といった強い意味では毛頭ない。日本語での論文も何本か出しているし、母国に貢献したいという意思もある。しかし、私のような意図と形式で留学をした者が少ない、というか自分自身以外知らない状況である以上、帰国後にはそれなりの困難が待ち受けているかもしれない。その意味では、広く将来をかけた上で選択したものであって、今後いわれない批判や嫌味等があっても、自身の過去の選択をかけて立ち向かわなければならない性質のものである。「決意」して来たと言う理由である。

 

 もっとも、いかに主観的に強く「決意」したところで、実際に留学できるとは限らない。本当のことを言えば、「決意」に至るまでの時間やコストよりも、留学への準備や手続きにかかったそれらの方が、圧倒的に大きく、骨の折れるものであった。次回以降、留学準備等に関する自身の経験を述べて行くこととしたい。